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 今なぜ『こころ』なのか。じつは先日、高校時代からの親友をガンで亡くして、なぜかこの作品を思い出したのです。高校時代から何度か読んでいるのですが、3年前、朝日新聞で「『こころ』連載百周年」を記念して、当時の原文のまま作品が再掲載されたときにファイルしておいたものを読み返したのです。友人の死が誘因となった『こころ』を改めてまとめますと、こういうことです。
 
 この小説の核心はなんといっても、作中の「先生」が心を許したはずの親友Kを、ついには裏切ってしまうという不条理。それによって惹き起こされた親友の自殺という悲劇。これを他人が批判するのはたやすいですが、そこに私たちが見出すのは、人間の中の眼に見えない闇というものではないでしょうか。さらに、小説の「先生」は自分の行為(結果的にKの恋した女性を奪う)によって親友を自殺に追いやったという自責の念に苦しみ、自らの命を絶つのです。

 この『こころ』について私が最近注目したのは、文芸評論家の若松英輔氏の「こころ論」です(岩波書店『図書』7月号)。小説の中核をなす「先生の遺書」の部分をとらえて、こう記しています。
 「「先生」は自分が何を書くのかを厳密には知らない」。「自分のこころが何を感じているのかを彼は十分に認識できていない」と分析して、「書くことの意義」の一般論として、「「書く」とは自らの内面にある未知なるものと出会おうとする試みである」と書いています。
 つまり、書くこと、言葉にすることによって、自分が感じたこと、考えていることを知るというのです。この後半の指摘は特に新しい意見ではありませんが、漱石という作家を考える、よいヒントになるのではないかと思います。このすぐれて個人的な営みである「書くこと」によって、漱石はむしろ、普遍的な精神の在りかを示唆してくれているのでは、と思うのです。(了)

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投稿日: 2017/09/02 02:01  
 Re: 18. 漱石の『こころ』より
私は過去、仕事仲間が自殺をしてしまいました
彼とは挨拶をするほどの間柄でしたが
ある日、彼が珍しく
「悩みってどうしてる?」と聞いて来たので
「悩みを話すと自分の重荷を背負わせる様で話さないな」
そう答えました
相談を出来る人がいない環境で育った故の返事でした
数年が過ぎ彼が亡くなった事を聞き
褪せる事無く考えています
「書く事の意義」
そう思います

投稿日: 2017/09/03 14:09  
 ありがとう
蛍野光さん、お久しぶり、お元気のようですね。

私は、一番の友を亡くしても、なんとか頑張っています。

あなたも、いろいろおありでしょうけど、またお便りいただけると嬉しいです。右近
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