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  • 咳をしても、ひとり 2018/03/22 5:47 pm
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     これは尾崎放哉という俳人の短律の句です。孤独であることの峻烈な思いが伝わってきます。どうして今この句なのか自分に問いました。
     先日、3・11の東日本大震災から7年を迎え、メディア等で私たちの記憶が呼び覚まされました。多くの人にとってあの日は、忘却の彼方にあったのかもしれませんが、実際は何も解決していないことを思い知らされました。
     いまだ数万人の避難者がいること、その人たちの救済を求める訴訟が各地であり、被災者の人々が生活の困窮と心の傷に癒されることがないことを知りました。その中でとりわけ孤独に苛まれる人々が、いかに多いことか。
     この俳句のようにたった一人というわけではないにしても、故郷を離れ、あるいは家族と離れ離れになった方々の孤立感は容易に想像できます。
     人と人との連帯を絶たれたときの悲しみは、多分それを経験しない人には、わからないのかもしれません。しかし、その悲しみの言葉を聞くことはできます。人が手を伸べたとき、そこに手があることが、かれにとっての救済でしょう。
     高齢の被災者の仮設住宅での孤独死が報じられたことも、しばしばありました。世間では、一人暮らしの高齢者の痛ましい事故も、近年多発しています。人生の旅路を、ひとりで終えることの寂寥はいかばかりでしょう。
     もちろん、孤独は老齢者ばかりではありません。年代にかかわらず、社会の救済や他人との連帯を絶たれた人々が、私たちのすぐそばにいるかもしれないのです。
     人間は結局一人である、と孤高を唱える人がいますが、そういう人も、咳をして、ふと我に返るときもあるのではないでしょうか。(了)

    哲学の道

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