コミュネス

初夏の散策

投稿日時 2017-6-11 23:33:09
執筆者 floribunda
「初夏の散策」などというタイトルを見て、「このクソ暑い中、散歩なんかするんじゃないっ!」という自己突っ込みを入れたくなるほど、昼間は暑いわけである。それでも、梅雨入りなんて何のその、晴れ間ものぞく天気に恵まれ、やはり、初夏の主役たちにご挨拶に、足は自然と外に向かうのである。もちろん、陽射しのせいでとにかく暑いのだが、雨が降っていては会いに行く気になれない面々にも、気軽にご挨拶できるのが良いのである。

そんなわけで。もちろん、初夏の主役たちは、下記のような面々なのである。




「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
芍薬をご紹介した時にもそんな川柳を引き合いに出した気がするけれど、やはり、この花は外せないのである。花の名前だけではなく、「〜の花」などという強引な語尾をつけてまで、川柳の5文字の枠内に2文字名の花を無理矢理押し込めたくなるほど、この花の咲きっぷりは整っている。バラをはじめとする錚々たる2文字名の名花や、ヒガンバナや胡蝶蘭のような そのものズバリの5文字名の花々を押しのけ、大和撫子の可憐な姿を描きだすために選出された、百合。
女王・カサブランカにまだお会いできていない段階で 百合の花を出すのもどうかとは思ったが、「初夏といえばコレ」、堂々たる出だしは、やはりユリの花である。

ただし...。出だしの花が一番という訳では、もちろんない。
華々しさではもちろん一歩譲るが、大和撫子の可憐さを描き出すのに、**本物のナデシコ**が出てこなくてどうするんだ...。
もちろん、西洋ナデシコ(ダイアンサス)も素晴らしく可憐だか、大和には大和の可憐さがある。すでに盛りは過ぎた姿だが、例えば、こんなお姿である。


しゃ、写真が下手っぴで失敬...//
しかしながら。やはりこの、ひらひらと風にそよぐ、軽くて淡い花びらが、どこからどう見ても、大和のナデシコなのである(品種名は、カワラナデシコ)。
撫子の名前の由来は、思わずナデナデしたくなるほど可愛い...ということのようだが(真偽未確認)、納得である。
何故か秋の七草になっているところから、ナデナデどころか、**食べた野蛮人(?)**もいたと推察する、春−初夏の逸材である。

さてと。下から上へと咲き上がる花というのもたくさんあり、春にはデルフィニウムやルピナス、グラジオラスなどが目を楽しませてくれる。しかし。初夏は、その中でも、特に際立つ**王様**が街角や空き地をにぎわしてくれる。



そう、立葵(たちあおい)、葵である。
ピンと直立し、木槿やハイビスカスを思わせる大輪の花を次々に咲き上がらせる、大きなのっぽの初夏の華である。間近で見るととても迫力のある立葵、昔から人の心を捕えて離さない魅力があったとか。
徳川家の家紋でもある葵の起源は、フタバアオイか立葵か、見解が分かれるところのようだが、立葵の素晴らしい立ち姿を見ると、やはりこちらが似合いそうだと、根拠もなく思ってしまう。


さてと。長々と**前置き**を書いてきたが、実は、本物の主役は、これからご登場である。そう、初夏はやはり、これらを見なければ、始まらない、いや、終わらないのである。





そう、初夏といえば、水辺に咲き誇る、花菖蒲である。もはや説明など不要、撮り手の実力不足は否めないものの、写真を見るだけで、その恋の理由は明らかなのである(実は、文字を書くのが面倒になってきたという説も)。ここ数年、バタバタが続いていたため、ちゃんと見ることができなかった花菖蒲。本日は、駆け足ながら、きちんと菖蒲に再会できたことを僥倖とし、言祝ぐのである...。

さてと。トリを飾るのは、既に予想済みの方が大半だと思われるが、もちろん、この花である。実力、および知名度的には冒頭に配置すべき花なのだが、これを冒頭にすると、それだけですべてが終わってしまう、ラスボスクラスの実力者なのである。






何を隠そう、私が花に入れあげるようになった最初のきっかけは、アジサイである。ブログのどこかにも書いたかもしれないが、アジサイの上に載るカタツムリという風景が懐かしく、浅墓な私はアジサイを育ててカタツムリを呼び寄せようとしたわけである。もちろん、そんなことだけで戻ってきてくれるほどカタツムリは優しくなかったが(むしろ、私たち人間がカタツムリに優しくなかったが)、その後老いて、こんなにも色んな花に浮気することになってしまったわけである。

アジサイには、大きく分けて「手毬型」と「ガク型」の二つの花型があるが、上の写真では、最初の白花「アナベル」だけが手毬型で、あとはガク型である。(2枚目の写真は、ちょっと中間っぽいが)
昔は、アジサイといえば手毬型で、そんなのばかり育てていたが、今となると、ガク型の咲き姿に魅了される毎日である。同じような写真ばかり載せて恐縮ながら、この形がお気に入りである。

さてと。アジサイは、日陰に咲くイメージがある人も多いかと思う。確かに、半日陰でも育つ、強い木である。しかし、紫陽花だって、本来は日向を好む、日光大好きな植物である。「苦手な環境でも美しく咲けてしまう」からこそ、場所がない等の「育てる側の理由」によって、日陰に配置されてしまう。

私たち人間の世界でも、「できてしまうからこそ、嫌いなことでも苦手なことでも、当然のようにさせられてしまう」不遇な経験をしている人は多いと思う。その人たちこそ、まさしく社会を支えてくれている当事者であり、もっと陽の目を見て、もっと評価されて良い人達である。せめて、紫陽花のように、人々の賞賛と好意に満たされ、幾年でも変わることなく美しく咲き続けられますように...//


コミュネスにて更に多くのブログを読むことができます。
http://communes.jp

このブログのURL
http://communes.jp/blog/details.php?blog_id=7997&user_id=7919799