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投稿者 | 掲載内容 |
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掲載日時: 2007/11/28 10:32 |
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ベテラン |
言葉の多様さや方言を重んじる傾向が見られる井上ひさしさんは、調べてみると出身が山形県東置賜郡小松町(現川西町)。私は、岩手県盛岡市出身の女優、長岡輝子さんの昔話の朗読を聞いて、炉辺で話を聞いているように、話がジンワリと聞き手に入ってくるような暖かさを感じたことがあります。
方言の豊かさを思うと、よく言われる「美しい日本語」とか「日本語の乱れ」というのは、何をもって「美しい」とか「乱れていない」というのか、なんだかあやしいものに思えてきます。 もちろん、方言にもけんかをしたりののしったりするときに使う、いわゆるきたない言葉もあるはずなので、方言それ自体に美しさや価値があるということではないのです。 「方言」という言葉も中央に対する地方の言葉ということですが、地元の人にとってはそれが標準語であるはずです。その土地で代々、生まれたときから使っている言葉で語るということは、公用語に翻訳しない、素のままの自分が出せるということになるんではなかろうか。 これは、英米語を話す人は英米語を勉強しなくてもいいが、そうでない国の人は、英米語を習得するために多大な努力しなければならないのと似ているところがあるように思われます。地方の人が東京に移住して働くときに、東京弁を基準にして作られた公用語に合わせなければならないという精神的ストレスが生じるのは珍しいことではありません。 こう考えてみると、「美しい日本語」というのは、正確には「公用語としての美しい日本語」ということじゃないでしょうか。「美しい日本語」をうんぬんするセンセーがたはもっと言葉を大切に扱ってもらいたいと思うのです。 「美しい日本」という表現もくわせものでした。ちょっと吟味してみないと、ころっとだまされます。言いだしっぺが美しくない格好で辞めてしまいましたから、さすがにこの論議は今のところ下火になったような感じではあります。 |
掲載日時: 2007/11/29 03:54 |
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プレミアム+ |
>> 「美しい日本」
巨大な近代ビル建築にそびえる「磨かれたガラス」やら、地方のたんぼのどまんなかにそびえる新建築の大型ストアの「真新しいカベ」、まだペンキの匂いのする広大な駐車場‥‥ そして東京はゴミ埋め立てで出来た廃品の街「お台場」の超ハイテク建築のぴかぴかの壁面などなど じっくり「美しい」とは何ぞや、と調査してみると、もともとの「語彙」は「自然の清らかな様」とありました。 ということは、こうしたビルや都心の近代街並は「美しいもの」にはならない、という皮肉な結果があらわれます。 たしかに、NHKなどのテレビで「美しい日本」などと称した映像では、かならずといっていいほど「清らかな川・山・海・大自然」の映像で表現されています。 どこかの後援で、美について、受け売りですが‥‥‥ 人工的なものは、美しいとは呼べない。 それは、化粧でしかない(化かしたもの) 古い記憶ですが、こんな後援話がアタマをよぎりますた これを公式にあてはめて読解すると、「美しい日本語」を解いてみますと、「自然な清らかな伝統的なことば」と解を導けます。 ということは、あたかもなんちゃってソレっぽい共有語の東京弁は「人為的に作られた言葉」ですから、すなわち「美しくない言葉である」と断定できます。 いっぽう、「自然な清らかな伝統的なことば」が美しい日本語となりますゆえ、地方の「方言」はまさに「美しい言葉」と、こちらも証明されます。 これらのことから ・共有標準語 = お化粧(化けた)日本語 と等価であり ・地方の方言 = 美しい日本語 と証明されます 自然が育んだ長い文化と歴史が、ゆく末まで受け継がれていくことが「真の美しい文化」であって欲しいと希望します つぶやきネット、Mac&Win部屋、iPhoneルームも開催中♪ |
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