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投稿者 | 掲載内容 |
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掲載日時: 2012/01/04 13:09 |
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うわ〜〜。すごい理論が展開されていますね
難しいけど、おっしゃてることが、わかるような 気がします。 そっか・・死んでも「意識」っていうのは微弱でも 残っているのですね。小さい頃、 「自分はなんで今、ここにいるの?」ってよく 思ったことがあります。大人になってからは全く 思わなくなったんですけど、これって過去からの意識が 交錯でもしてたのかな??(っていいように考えてるけど ただのボケ〜っとしてただけかなww) |
掲載日時: 2012/01/04 13:41 |
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そうそう、過去の意識も人間ならではの意識ですね。
そして未来の意識も。天気予報じゃないけど、体調崩したなって感じたら、明日は寝込んでいる姿が想像できる。まさに予知です。種を植えたら木が育つ、それを楽しみに待てる価値観、まさに予知能力です。(動物なら食えない種なら蹴り飛ばして終わりでしょう) 意識も空間にとどまるものですよね。 その空間というのが宇宙空間の物理空間によって生成されたものではなく、時間軸に左右されない「無の場」としての空間ですよね。その人の意識の空間。目や雰囲気などで認識された次元の空間ですね。物理的な空間ではなく、デジャブーな空間ですね。(認識がそれを留めている) 死んだ本人は肉体では消失しているでしょう。 しかし肉体が物質の詰め合わせであれば、その意識は必ず3つの存在による意識によって確保されていると考えられます。そのひとつとしては皆さんがよく認識している「神の意識」ですね。 聖書にもそれは予言されていて、実は他の宗教でも多くが「復活の予言」に「神の記憶=意識のコールバック」の記述が多く含まれて居ます。むしろ、「永遠の命」と「復活の予言」が宗教のコアシステムだったりしますものね。 それが無ければ宗教は語れない しかもこうした考え方が1万年近く昔からずっと支持されてきたと思うと、実は私たちは「もうひとつの時空」が見えなくなってしまっているのかも知れませんね。(太陽神の信仰では必ず太陽の復活というテーマに命を捧げる儀式があります。聖書でも自分の子を捧げるという記述もあり、レビ記 9:1-24、必ずその死は無駄ではなく、未来の復活の保証を完全なまでに信頼している証として行うものでした。) つまり今死んでも、未来に復活するから、自ら儀式の祭壇に登る、といった価値観もあったようです。(16世紀のインカ帝国など)スペインの攻防で負けたという武勇伝の他に、実は当時のスペインの武力はそれほど高くなく、ポルトガルが大航海時代の最大の支配者であり、インカ帝国は全員が半焼の捧げモノとして自分たちが集団自殺したという説が強いんですよね。=未来の復活を信じて) だから、たった一晩でインカ帝国が忽然と消えた!? しかも死体が出てこない。まさに集団自殺で、見えない場所で穴でも掘ってみんなで生き埋めの罠でも作ったのかも知れませんね。その念というものはそこにたくさんあるでしょう。 いろんな世界の不思議がまだまだありますが、どんな生物も復活と生命の輪廻を「ありのまま受け入れている」という点で人間とはまったく違いますよね。人間は欲のために理由もなく無関係なものを平気で殺しますが、動物はそうしたことは行わないですね。 意識は実は成長しない 自我が芽生えた時点で、自分の意識は別のものに成長することなく、そのままだったりします。こどもの頃を思い出す年配の自分も、自分の意識は過去か現代までひとつ繋がったまま。意識の断片の欠片が交錯していても、やっぱりひとつだったりします。 つまり、今は見えていない未来の自分も実は自分の意識ですから、数年後の未来の自分が過去の自分に呼びかけてくれていることもあったりしますよね。 「自分はなんで今、ここにいるの?」と呼び覚ましてくれている未来の50年後の自分が、10歳の自分を気遣ってくれているのかも知れません。魂には年齢がありませんし、時限の壁も時間の概念もありませんからね。単に記憶データが未来分だけ不足しているだけで、意識レベルでは知識に関係なく時間を超越してひとつのライン上に存在し自覚というベクトルに向かっているだけですもね。 つぶやきネット、Mac&Win部屋、iPhoneルームも開催中♪ |
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