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投稿者 掲載内容
掲載日時: 2009/08/03 02:39  
ベテラン
 “ヴァーチャル virtual”という単語
 以前から不思議に思っている単語です。カタカナ言葉に柔軟な環境では「ヴァーチャルな世界」のようにすでに比較的よく知られています。「仮想現実 virtual reality」としても知られているように、“virtual”には「本物ではないが」みたいなニュアンスで広く認知されているのではないでしょうか。でも、安直な方法で申し訳ないのですが、ここの説明にもあるように、辞書では「実際には・実質的には」という意味が第一義なのです。おおかたの英和辞書でも同様ではないでしょうか。
 これがどうして「仮想的に」という、いわば「虚」のニュアンスが強まって広まったのか?思い出すたびにげせないことの一つなのです。virtual reality のゲームが市場で広まったのが原因なのでしょうか?世の中の「虚」の蔓延が反映されているとは思いたくないのですが。
掲載日時: 2009/08/03 18:49  
プレミアム+
オンライン
 Re: “ヴァーチャル virtual”という単語
こんにちは、また新しいディスカッション話題ですね。
こっそり盛り上がりましょう。
バーチャルは字義的には「実質的な」という意味ですよね。
英語圏での主流な表現であり、現実的に言えば〜、というのがバーチャルの意味です。

けっして、日本人がオカしく表現している「仮想的な〜」という意味は「バーチャル」という語意にはまったくありません。

では、空想的な・虚無的な・仮想的な、という表現は何かと言えば、イマジンですね。表記はImagineですが、さしずめ、メルパのようなハイセンスなコミュニティサイトで、なにをトンチンカンに誤解してか、男性が女性に「下心みえみえの出会いの求め」「出会い目的の友達登録の申請」を出すような破廉恥な行動は、
さしずめ He (is) imagine ヒマジン といったところでしょうか。

コンピューター上における、バーチャルリアリティとは、今でもそうですが「現実的なつながり」「実質的な関係」を有するコミュニケーションを言いますね。(世界的な意味で)

ただ、精神年齢の低いオコチャマ日本人の大人の場合は「仮想だ!」「バレなければ何をしてもいいんだ」「これは空想なのだ」と言わんばかりに、トチクルってモノゴトを判断する傾向があるようです。

まさか「アナログ」じゃあるまいし、デジタル通信は「正確性」「本人特定性」はほぼ100%正確なので、そんなタワゴトなバーチャルは通用するワケがありませんが、なにをどう転んでどう間違えたのか、バーチャル=嘘の虚像=バレナイ世界とでも錯覚しちゃってる日本のインターネットユーザーは圧倒的に多いですね。

これも「大人社会の教育の場の少なさ」によるものでしょう。話しは飛びますが、学校ではただ単に詰め込み学習(記憶能力限界訓練?)だけを18歳まで続けて、人間として社会の必要な学習は「まったくゼロ」で大人になりますから、家庭教育だけが人間教育のすべてと言い換えても過言ではないでしょう。

しかし、本来教える側の「親たち」が、雇われ月給サラリーマンであり、すべて「会社任せ・他人任せ・無責任」(最終的には経営者任せ)であふれかえっていますから(会社が倒産しても自費を払ってまで会社経営を助けようという発想すら存在しない=他人任せなすりつけ人間の助長)、ものを作り上げる苦しみ・責任・楽しさ・人々との交流の大切さ、という原点の理解は幼稚極まるので、こどもに人間教育ができないということも大いにあるでしょう。

そうした檻の中の世界で生き続けている人にとって、バーチャルとは、「いかに他人に任せるか」「おいしいところだけ無料で盗むか」ということで、自分の価値観がすべて埋め尽くされているのでしょう。

無料でお持ち帰りください

そんなパンフレットを1枚頂くにも、店員やスタッフを探して、またはレジにいって並び、「これ1枚頂きますね、ありがとう」というお礼すら言えない「人種」が増えているのも日本のバーチャルリアリティの表れなのだと感じます。

大人になるまで「記憶能力限界訓練」だけしか能力が発達していないため、さしずめ「無料サービス」や「激安サービス」の情報提供の記憶能力は発展してますので、どうでもいいロクでもない商品やサービスの「比較・検証」だけは優れ?た社会が形成されるのは言うまでもありません。

ただバカみたいに利用するだけ利用して、評価意見としてフィードバックする落とし穴。それが商品やサービスの改善になるとでもカンチガイしているロクでもないレビューマンだけが育ちますね。開発コストや価格反映は、ただの一般利用者のレビューで決まるような安っぽいチープな考え方は、現実社会にはどこにもないです。あくまでも表層上での顧客満足度という口封じにしかならない‥‥‥

そうした企業戦略すら知らずにインターネット投稿サイトで、商品やサービスのレビュー評価を書いている人は、まんまと企業戦略に乗っかっているカモなんですよね。商品評価という大風呂敷に参加させることで、より低コストで、良きも悪きも、商品サービス宣伝コストの低減と効果的な情報発信をしているだけで、もっと大きな目でみれば、他にたくさん良いサービスが存在しているのに、まったく盲目になってしまう、そのための策略が評価レビュー戦略ですからね。裏事情ですが‥‥‥

でも、こうしたレビューシステムは、日本人には大受けしているようです。さすが「記憶能力トレーニング」の賜物ですね。しかし、より盲目化に拍車がかかるので、群衆心理・ムラ根性の種族に有効な一種のマインドコントロールに近しいものがあります。似たものに、アンケート結果のテレビ報道などもありますね。(そこにしか目が向けられなくなる=IDOL象徴化現象=古典では偶像崇拝と言いますが、現代では、ネームバリューという崇拝価値がIDOL化洗脳マインドコントロールにですね。大手企業は良い、新商品は良い、有名だから良い、と勘違いして敬うようになる盲目バカ者のアレのことです。余談でしたが‥‥‥)

たいせつな人々との関係のなかに、実質的な自分の関わり=バーチャル、という自己責任の意思がこめられているのが「バーチャル」なんですよね
つぶやきネットMac&Win部屋iPhoneルームも開催中♪
掲載日時: 2009/08/04 01:55  
ベテラン
 Re: “ヴァーチャル virtual”という単語
いつもありがとうございます。
引用:
He (is) imagine ヒマジン

もう絶好調ですね!

Macに付属の辞書によると
引用:
Computing -- not physically existing as such but made by software to appear to do so : a virtual computer. See also virtual reality.

この特殊な意味から「ヴァーチャルな世界」のように拡大解釈され、カタカナ礼賛も荷担して、第一義が無視されたのかもしれません。virtual自体の語源はvirtueと共通で、それ自体に価値のあるものですね。

前にも投稿させていただいたように、近頃、特に関心があるのが、虚言、虚飾、記憶、認知症などに関することです。一例として、

引用:
虚言症 -- 過去の事実、自己の境遇などを空想的に潤色・変形し、自ら虚言と現実とを混同する病的な精神・心理状態。自己顕示的あるいはヒステリー的性格異常者に見られる。(広辞苑)

深刻な性格異常者とまでいかなくても、類似の実例が多いことは各種の詐欺事件の発生からも伺えます。もっとも、犯罪者は広い意味で性格異常者ということもできるのですが、加害者保護の立場から「責任能力」ということが不当に重要視されているようで気になります。「私は殺すつもりはなかった。私の中の悪魔が殺せとささやいた」なんていうのは顕著な例です。こういうことから責任能力がないと見なされ、無罪放免になるのでは被害者はたまったものではありません。

ほのかさんも指摘した「アイドル・偶像崇拝」も自己顕示欲という観点から興味深いものです。アキバなどでの無差別殺人も自己顕示欲の延長にあるのではないかと思います。

これほどに罪深いことと同列におくつもりはありませんが、商業ベースのアイドルまたはそれに準じる有名無名の集団におけるいわゆる「カリスマ(いやな言葉ですが)」的存在によるブログなどにも特殊な自己顕示欲を感じます。厳密な意味では、我々の個人的なブログなどの公開投稿も自己顕示欲から逃れることはできないのです。しかし、大小のアイドルによるブログは、我々のささやかな楽しみとはずいぶん趣が異なるように思われてなりません。上例の辞書の説明に含まれる「虚言」と「自己顕示」というキーワードを切り離すことができないのです。

大小のアイドルは、実際に言葉を交わしたり触れ合ったりする集団から注目されていることを意識していますから、少なくとも結果的にマイナスイメージをもたらすような内容やリンクを投稿することはありません。たとえマイナスイメージになるような情報があったとしてもそれをうまく虚飾でくるんで自分にとって有利になるように記述するのではないでしょうか。大小のアイドルは、集団の中では常に輝く存在であり続けなければならないので、虚実とり混ぜて最終的には自身のイメージが高まるよう、意識的・無意識的に努めるのだろうと思います。よく言えば楽天的とか前向きとか自賛することも可能ですが。

我々のような一般人ももちろん嘘をつくことがあります。しかし、少なくとも良心的な一般人は嘘をつくと良心が痛むのです。これに対し、自己顕示欲が強く、虚言症の傾向のある者は、嘘をついても良心が痛まないのです。なぜなら、彼ら・彼女らにとっては、それは嘘ではないのです。虚言者がそれを意識の中で実際に嘘とは認識していないのか。それとも本心では嘘と認識してはいるものの、それを独自の論理で嘘ではないと外に向かって説明するのか(自己顕示欲のために)。興味の尽きないところなのです。
掲載日時: 2009/08/04 11:47  
ベテラン
 Re: “ヴァーチャル virtual”という単語
ちわ〜
> 独自の論理で嘘ではないと外に向かって説明
まさに、それ!

そんな人たちと日頃多く接している俺なのですが、非常に対応には困りましゅ
だから嫌というわけではないのですが、そんな人たちなんだな・・・と思うことにしています。
それはそれ。
自分は自分。
なんと都合のいい解釈でしょう(汗)

集団や自己顕示欲が、まさにそれを生んでいるのかもしれませんね。
(間違った意味の)「チカラ」は、それなりにチカラがあるようで、そのチカラをただやみくもに使っているということでしょう。
その中でヴァーチャルも生まれてきたのでは?
そういう意味では、この場合の方が現実的であることが悲しい
まあMARでしょ?
掲載日時: 2009/08/04 14:33  
ベテラン
 Re: “ヴァーチャル virtual”という単語
「おお!まあさん、あなたもか!」と連帯感を感じちゃいます。 何人か集まったら「虚言者被害友の会」でもつくりますかね。

引用:
(間違った意味の)「チカラ」

「無理が通れば道理が引っ込む」ってやつですね。たとえ高い理想を掲げる集団であっても、常識的な観点からながめたときにどうであるかということを常に意識するのがいいのです。そこが集団の危険な点でして、集団の環境を外から見るという仕組みを意識的に備えておかないと、たとえば相撲協会のような醜態をさらすことになります。

小中学生のレベルならまだしも、いい大人になっても虚言者が自己批判もなく生活できているということは、自分自身が痛い目にあって学習してこなかったからなのです。

虚言者に家族がいる場合、まずは家族が虚言者のおかしな点を指摘することが考えられます。しかし、家庭環境に特殊な事情があってまともな指摘ができない場合、事なかれ主義的な家庭環境である場合など、家庭内での矯正を逸するということは十分に考えられることです。

では、そのような虚言者はどのように社会生活を営むのか。前にも書きましたが、虚言者は基本的に弱い者ですから、カメレオンのように擬態を駆使します。自分の理屈が批判されるかもしれない集団の中では批判されないようにふるまいます。しかし、このような擬態には時間的な制約があるようです。つまり、そんなに長く擬態を続けることはできないのです。

特に年を取るにつれ擬態を続けるエネルギーは弱まりますので、擬態の必要がない、自分にとって心地のよい環境または集団に身を置くことになります。その集団で自己顕示欲を最高度に満足させるには、集団のアイドルになるのが一番いいのです。

このような広義のアイドルとそれを中心として形成される集団の構成員は、おかしな新興宗教の教祖のようにアイドルをあがめ奉るので、アイドルはひたすらその自己顕示欲と虚言性に拍車を掛けていくしかなくなります。こうなってしまうと、いくらはたから「ちょっとおかしいよ」などとまともな意見を投げかけられたとしても受け付けられるわけがなくなります。先の集団の論理が優先され、集団での位置づけがアイドルという権威的なものになればなおさらです。

一般論としても、完璧な人間なんているわけがないのです。どんな人でも批判を受けることはあり得るのです。受ける批判をことごとく反駁し、自分には間違っている点など何一つないのだという姿勢こそがそもそも病的な証となります。

アイドルとその集団を極端に戯画化した場合、阿呆者を神様に祭り上げ、はやし立てて笑っているうちに、観客までもいつの間にか阿呆になってしまう。そんなグロテスクで滑稽な劇をながめているような気にさえなります。
掲載日時: 2009/08/05 00:12  
プレミアム+
オンライン
 Re: “ヴァーチャル virtual”という単語
ますます、こっそり盛り上がってきましたね♪
アイドル主義の他にも、実はもうひとつの(いやもっとですか)、虚を生むものがあります。それは「選民主義」といわれる考え方ですね。

いわばキリスト教徒などの一部の信者にも見られる「選ばれた民」というアレです。

そもそも、神が人を選ぶ、と考える時点で「ではなぜ人は生まれるときと死ぬときを選べないのか」という問題が生じてきます。それは神様がお選びになった絶対的な支配と考えるのですが、生まれるも、死ぬも、生かすも、そして死後の世界や、完全な形での死者の復活などの際に「選ばれた民だけが救われる」=選民主義という価値観が芽生えます。

もっとも、普通の感覚で考えれば、死ねば肉は土に帰し、魂は空間に解け交じり、死んでからのことは死んでから「母なる地球」「全能の宇宙」が、その永劫の摂理で決めてくれると思いますが、人にとっては「不安」という弱味が常に生じます。

その不安を「解決の言葉」にして、解決策つまり選民主義を信じ込ませることで「不安」を取り除き、寄付であったり多額のお布施を得るのが宗教の起源とも言えます。(お賽銭ですね)

この選民主義は古典的な考え方で、現代では「ネームバリュー主義」で現代社会でもそのまま人に根付いているようです。つまり、有名なあの企業の商品を買える自分は選ばれたお客様だ、というような具合です。自らが、その選民的な発想で「こころが不自由」になり、盲目となり、ずっとそれだけに浸り続ける閉鎖的なこころの闇=虚無が発生します。

プロ野球なども熱狂的なファンもそうしたひとつの選民主義の表れでしょう。これを政治に利用しているところもありますね。(企業における特定政党への義援など)

そうした「無理が通れば道理がひっこむ(ませる)」ための、目に見えない、誰のための益にもならない「自己満足」のための虚無エネルギーの基本的なものに、IDOL主義(偶像崇拝)そして選民主義(熱狂的ファン)というものが存在すると思います。

もちろん、それらについて「わたしはここまでは選民主義」「ここからは別の話し」というように、自我をコントロールして偶像崇拝や選民主義になるのはまったく構わない話しですが、それを「他人に薦めたり(有害)」、また「他人の価値観を否定したり(有害)」するのは、己の不自由な盲目の目を押し付ける結果となるのでマズイですね。

むしろ、この二大驚異は、どちらも「もっと他人に紹介しなさい!」「紹介すれば更にあなたが救われる」的な考えが根強く、人類の自由をむしばむ有害なものだと考えます。

大手企業や有名サイトなどのサービスでも、同じマインドコントロールが展開されています。(有害)
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掲載日時: 2009/08/05 20:55  
ベテラン
 Re: “ヴァーチャル virtual”という単語
な〜るほど。言われてみれば、選民主義ってのもありますね。選ばれたもの。エリート。あなただけが・・・という連想で。



ホント、泣けてくぅるぅ・・・ちなみに、2番は知りませんでした。

これまでの検証でいくつかのキーワードがリンクされてきますが、選民主義が指摘されたことで、個人は社会の縮尺であり、社会は個人の拡大みたいな感じがさらに鮮明になってきました。

というのは、とても面白いことに、自己顕示欲が強く、虚言傾向のある個人には、選民意識も備わっていることが実例として認められると聞きます。たとえば、そのような個人、何某(なにがし)がまともな宗教サークルに所属したとします。何某は、夢の中で神が現れて自分を選んだという話を宗教サークルで紹介してしまいます。サークルの指導者である牧師にとっては困ったことなのですが、結果として何某は他の信者から注目の的となり、暗黙または明示的に特別扱いされるようになります。実際にそのような夢を見ても黙っていればいいものを自己顕示欲が強いために、公表せざるを得ないのでしょう。いい結果がもたらされる場合もあるかもしれませんが、小さいサークルでは嫉妬の対象になるのがおちです。

引用:
「わたしはここまでは選民主義」「ここからは別の話し」というように、自我をコントロールして偶像崇拝や選民主義になるのはまったく構わない

実際には、病的傾向のある虚言者にとって、このような区別はきわめて困難でしょう。選民意識、自己顕示欲、虚言傾向は、擬態前の虚言者本来のカラーであるため、擬態が必要でない日常の場面でも抑えがたく現れることになります。結果として多かれ少なかれ他人を巻き込むことになります。これはマインドコントロールの一種です。特定集団のファンにとっては巻き込まれることも快感かもしれませんが、集団以外の一般人にとっては迷惑この上ないことです。

自己顕示欲には、目立ちたい、目立ちたがる、言い換えれば、選ばれたい、選ばれたがるという傾向が結びつきます。しかし、不思議なことに、良心的な場合は別として、一般的に目立ちたがる人は「自分は目立ちたいのだ」とは公言しません。「自分は目立ちたくないのだが目立ってしまう」という常套句が使われます。この常套句にすでに虚言が含まれているということになります。

そもそも、なにもせずに目立つことができるでしょうか?意識的であれ無意識的であれ、目立とうとする気持ちがどこかにあるから目立つのでしょう。エレファントマンのように負の意味で目立ってしまう場合もあります。しかし、このような場合、本人はそのような意味で目立ちたいはずはないのだと思います。

詳しい事情は知りませんが、芸能界でも何もせずに売れっ子になる、つまり目立つことなどあり得ましょうか?事務所によるプロモーションがあるとはいえ、本人が目立ちたいから芸能界という特殊な環境に自主的に身を置くのではないでしょうか。

目立ちたがり屋にとっても、「目立ちたい」という意識はあまり麗しいものではないことが自覚されるようです。アイドルになるためにはできるだけ麗しくない点を排除する必要があります。そのため、上記のような矛盾する常套句が使われるのでしょう。

この常套句には別の効果もあります。つまり、「努力しないのにわき出る才能のために目立ってしまう」ということが含意されます。目立って選ばれるためには、多くの時間を費やし、ある点でなりふり構わず努力する必要があるのでしょう。天才といわれる人であっても、常人には計り知れない努力が費やされていることと思われます。「自分は目立ちたくないのだが目立ってしまう」という常套句には、表面的な天才像に対するあこがれ、裏を返せば何らかの劣等感が含まれるのだと思います。

ここまでくると、虚言や虚飾は、自己顕示欲の強い本人がみずからの劣等感を覆い隠すための手段であることが明らかになるように思われます。人が劣等感を持っていたとしても自己顕示欲が強くなければ、また、自己顕示欲が強くても劣等感がなければ、虚言や虚飾を駆使する必要はないのかもしれません。個人にとどまらず、過剰な宣伝を駆使するような団体もこのような意味で何らかの劣等感を覆い隠そうとする意図があるのかもしれません。
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