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投稿者 | 掲載内容 |
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掲載日時: 2009/11/12 10:39 |
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初心者 |
驚きましたねー。いろんな人がいるんだと実感しました。まぁ顔が見えないから勝手気ままな事を言うんでしょうけどね。私はここへの参加数も少ないので、こういう事実は知りませんでした。いろんな人がいるもんですね。楽しく会話が出来れば良いだけなんですけど(笑)。
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掲載日時: 2009/11/11 16:45 |
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ベテラン |
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掲載日時: 2009/11/10 08:49 |
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初心者 |
そうなんですよ。書き始めたときはゴルフの話だったんです。だんだん方向が変わってきてしまいました(笑)。まぁ、こういう話にお付き合いいただいて感謝です。
私はあまり知らないのですが、結構異常な投稿は多いんですか?顔の見えないネットの世界はある部分、簡単に入れるだけに怖いものですよね。ただ、複数回の会話をしている段階で、だんだんと相手の顔も見えてきますから。 では、話をゴルフ(スポーツ)に戻しましょう。ここ数年、ゴルフで言えば石川遼君、野球で言えば早稲田に進学した斉藤君等々、若いのに受け答えのすばらしい人が出てきましたね。私が10代の頃にあんなに注目されたら、きっと生意気な受け答えをしていたと思います。大人がチヤホヤしますからね。そのチヤホヤに負けないのは親御さんがキチンと育ててきた証拠でしょう。私の回りには若い頃にチヤホヤされたんでしょうと思われる大人がいるんです(笑)。悪いことは他人のせい。大人の困ったちゃんにはホトホト参ります(笑)。あれ?結局ゴルフの話じゃなくなってしまいました。 |
掲載日時: 2009/11/10 00:48 |
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ベテラン |
大いに語ってください。
引用: 勝手な事を言う人が多いんでしょう おっしゃるとおり。「自由」と「勝手気まま」を同一視しています。だからこのメルパでも異常な投稿が後を絶たないのでしょう。 戦後民主主義が間違ったと思います。草の根的に下から盛り上がったものでなく、ドカンと上から与えられたものです。血を流して勝ち取ったものでもなければ、長い間の教育によってはぐくまれたものでもない。ちょっと不幸な歴史です。真の自由に対する考えが根付くにはまだまだ時間がかかるように思われます。 余談ですが、このスレッドの始まりは「ゴルフ」でしたね。それがみんなで立ち話みたいにしているうちに、話題が「自由」にまで及んでしまいました。とても人間的な対話が流れていることをうれしく思っています。 |
掲載日時: 2009/11/09 16:10 |
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初心者 |
そうですね。確かに日本語の『遊び』と英語の『play』は違いがあります。『遊び』はその時のその一部分だけを見て遊ぶんでしょう。反対に英語の『play』には『物事を上から俯瞰して見てみる』意味もあるのかもしれませんね。物事の全体を見て、『play』する。限定されない『遊び』があるようですね。スポーツをする場合も、広く全体を見ることの出来る人は思いがけないパスを出したりするもんです。日本語と英語の『似て非なる解釈』ですね。
良い例が日本語の『自由』。英語では『フリー』と『リバティ』がありますよね。最近の日本人は『自由』=『フリー』になってます。だから勝手な事を言う人が多いんでしょう。でも実際は『自由』=『リバティ』が社会生活を送る上では絶対に必要な事なんでしょうね。なーんて、語ってしまいました(笑)。 |
掲載日時: 2009/11/09 10:58 |
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ベテラン |
引用:
いかに『相手』が仕事をやりやすくしてから受け渡すか。みんながこういう考えで仕事を進めればスムーズに進みます。 特に組織の場合、そのとおりですね。広い意味での「遊びの心」がないと近視眼になってしまい、自分だけが一身に責任を負っているような気持ちになり、追い込んでいき、結局は多方面に迷惑をかけてしまうことにもなりかねません。 組織は連係プレー(play = 遊び)で発展していくオーケストラに似ています。独奏者それぞれが頑固に自己主張していたのでは、全体の曲がめちゃめちゃになります。この全体の曲が調和するようにうまく調整するのが、指揮者である経営者の手腕なのでしょう。趣旨からそれるかもしれませんが、経営ということもある意味で大きな演奏(play)といえるのかもしれません。 日本語の「遊び」という言葉には、子供のすること、無意味なこと、暇つぶしのような消極的な面がまだ強いのですが、たとえば、「遊び」に対応する英語の play には広範囲な人間の活動が意味されることを知ることができるでしょう。日本でも、一時、フランスの思想家、ロジェ・カイヨワの著作で社会現象として遊びを見直すきっかけが生まれました。遊びはなかなか奥深いものです。 |
掲載日時: 2009/11/09 07:17 |
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初心者 |
仕事もスポーツも、どこかに遊びの心は持ち続けたいですね。スポーツは、始めるからにはうまくなりたいし、相手にも自分にも『勝つ』事が最終目標。でもプロになるわけでないし、楽しんでやっていかないと続けることが出来ないですからね。
さて、じゃ、仕事はどうなんでしょう?確かに『会社の為ではなく、自分の為に頑張りましょう』っていう経営者もいますが、会社(仕事)が無くなれば元も子もない(笑)。それに仕事は自分1人では無理ですよね。相手がいてなり立つもの。だから、常に自分が仕事を渡す『相手』のことを考えながらやらないといけないでしょう。いかに『相手』が仕事をやりやすくしてから受け渡すか。みんながこういう考えで仕事を進めればスムーズに進みます。なーんて、心の中ではわかっているつもりなんですけど、なかなかこれが難しいんですね。でも、頭の片隅にはいつもこういう考えを持っていたいと思ってます。 |
掲載日時: 2009/11/08 08:20 |
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ベテラン |
>たろさん はじめましてアスパラです
引用: 仕事もそれなりに楽しく出来ることが大切ですよね。 本当に自分の好きなこと、やりたい事を仕事に出来れば最高ですけれど 世の中そう、うまくはいかないもの かといってイヤな仕事をイヤイヤやっていては、なおさらツマラナイ 何かしらの楽しみ見つけなくては そのくらいの努力は必要ですよね 北の大地/アスパラ |
掲載日時: 2009/11/07 15:54 |
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ベテラン |
あらためて、お付き合いありがとうございます。
本当におっしゃるとおりです。 スポーツでも何でも、楽しむという遊びの要素が基本ですね。その延長として何番とか何点とかという競い合いになるわけですが、何事に関しても、どうも競い合いの側面が強くなるという傾向がなきにしもあらず。本末転倒で悲しく思います。機械の可動部にも「遊び」は不可欠で、きっちきちに組み立ててしまうと動かなかったり破損したりします。 お金をかけたり一番になることだけが豊かではないですね。それよりも、遊びの気持ちを忘れないでいることが、お金をかけることもなく、いつでもどこでも豊かな気持ちでいられることではないだろうかと感じます。 |
掲載日時: 2009/11/07 15:33 |
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初心者 |
スポーツも楽しく出来れば良いですよね。オリンピックを目指すわけでもないし(笑)。楽しく出来れば長続き出来ますもん。仕事もそれなりに楽しく出来ることが大切ですよね。イヤなことも多いけど、きっとそのうち良いことある!と思いながら毎日やってます(笑)。
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