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投稿者 掲載内容
掲載日時: 2009/06/24 15:34  
ベテラン
 自虐
記念日が近づいてくると一部で話題になることですが、どうも我が国は戦争好きな国民性なのではないだろうかという気がしてなりません。学校で習う歴史だけでも、思い返せば万葉集に詠われる防人の端緒となった白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵、倭寇など、特に朝鮮半島に執着したような印象を受けます。もっとも、朝鮮半島に関しては雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)と津島藩を仲介にして、江戸時代まで朝鮮通信使が何度も訪日し、文化交流も盛んであったというプラスの面もあります。人間関係でたとえれば愛憎という表現が思い出され、よかれ悪しかれ深つながりがあったことがしのばれます。

それはさておき、私の大まかで浅薄な歴史の知識で恐縮至極ですが、顕著に積極的に日本に侵略を試みたたのは、先の終戦まではモンゴル軍だけではないでしょうか。日清、日露、日中戦争まで、侵略に対する抗戦ではなく、どうも日本が積極的に戦争をしてきたような印象が鮮明になるばかりで、「仕掛けられた」という言い訳がかすんでしまうほどです。「仕掛けられた」のだとすれば、回避できなかったのも無能だし、そういう口車に乗って人殺しに出かけていったのはなおさらたちが悪い。

大河ドラマで戦国時代物が好まれるというのも戦争好きという傾向にフィットしているようにさえ思われてしまいます。戦(いくさ)というと、幼児的な意味では「悪者を退治する」という勧善懲悪を助長する勇ましいものという一面があります。しかし、実際の戦でも戦争でも集団無差別殺人であることには変わりないのです。

しかし、戦や戦争の時代背景、情勢、状況に対しある種の憧憬や懐古などほのぼのとした感情を抱くのは論外としても、そのような状況でどんなに当時の人たちが「がんばった」(≒滅私奉公)か、英雄的な行動を取ったかという属性を与えたがるのが、戦争好きの傾向です。こういう傾向は、いわゆる悲劇の主人公になりたがる傾向に似ています。逆境に耐え義務を遂行することの気高さが賛美されます。現在でも、一人の主導者の下に逆境を乗り越えていくことをスローガンとしている珍しい国が近くにあります。戦時中の日本を実際に見たことのない私は、その国の様子を当時の日本に重ね合わせることがよくあります。

偶然にも、その国の伝統芸能としてパンソリとかタリョンといったものがあります。特徴の一つとして、身に降りかかる災いを押し殺した音色の歌唱に乗せて嘆くことで気持ちを浄化するという点が挙げられます。このことから日本の演歌の源流ではないかとも言われることがあるようです。悲劇の浄化作用という点では、ギリシャ悲劇にもそのような点が指摘されるので意外と万国共通な傾向なのかもしれません。こういう心情は、ちょっと内省してみれば広い意味での自分いじめ、つまり自虐であることが分かります。

加害者としての日本の戦争責任を取り上げようとする流れを、戦争好きな集団は自虐史観と非難します。しかし、戦争好きな集団の心情を思うとき、それこそが自虐的であることが浮き彫りにされるようでなりません。諸条件が異なるのは言うまでもありませんが、自国の戦争責任をいつまでも懺悔するというドイツ国の方針を自虐的だというのでしょうか。

頼まれもしないのにこちらから出向いていって他国の人たちに多大な迷惑をかけたことを肝に銘じて反省することもない。忘却に任せてなかったことにする。さらには良いことをしてやったんだなどというヌスットタケダケシイ態度を「サムライニッポン」とでもいうのでしょうか。それこそ恥ずかしいことです。結局、戦争好きのなれの果ては自国に栄光をもたらすものでは決してなく、恥の上塗りをするしかない。彼らの好んで使う「国賊」というレッテルこそが与えられるに最もふさわしいという皮肉な結果になるのです。
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タイトル 投稿者 日時
 » 自虐 アモ 2009/06/24 15:34
     Re: 自虐 アスパラ先生 2009/06/24 21:31
       Re: 自虐 アモ 2009/06/25 09:45

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