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投稿者 | 掲載内容 |
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掲載日時: 2009/08/04 14:33 |
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ベテラン |
「おお!まあさん、あなたもか!」と連帯感を感じちゃいます。 何人か集まったら「虚言者被害友の会」でもつくりますかね。
引用: (間違った意味の)「チカラ」 「無理が通れば道理が引っ込む」ってやつですね。たとえ高い理想を掲げる集団であっても、常識的な観点からながめたときにどうであるかということを常に意識するのがいいのです。そこが集団の危険な点でして、集団の環境を外から見るという仕組みを意識的に備えておかないと、たとえば相撲協会のような醜態をさらすことになります。 小中学生のレベルならまだしも、いい大人になっても虚言者が自己批判もなく生活できているということは、自分自身が痛い目にあって学習してこなかったからなのです。 虚言者に家族がいる場合、まずは家族が虚言者のおかしな点を指摘することが考えられます。しかし、家庭環境に特殊な事情があってまともな指摘ができない場合、事なかれ主義的な家庭環境である場合など、家庭内での矯正を逸するということは十分に考えられることです。 では、そのような虚言者はどのように社会生活を営むのか。前にも書きましたが、虚言者は基本的に弱い者ですから、カメレオンのように擬態を駆使します。自分の理屈が批判されるかもしれない集団の中では批判されないようにふるまいます。しかし、このような擬態には時間的な制約があるようです。つまり、そんなに長く擬態を続けることはできないのです。 特に年を取るにつれ擬態を続けるエネルギーは弱まりますので、擬態の必要がない、自分にとって心地のよい環境または集団に身を置くことになります。その集団で自己顕示欲を最高度に満足させるには、集団のアイドルになるのが一番いいのです。 このような広義のアイドルとそれを中心として形成される集団の構成員は、おかしな新興宗教の教祖のようにアイドルをあがめ奉るので、アイドルはひたすらその自己顕示欲と虚言性に拍車を掛けていくしかなくなります。こうなってしまうと、いくらはたから「ちょっとおかしいよ」などとまともな意見を投げかけられたとしても受け付けられるわけがなくなります。先の集団の論理が優先され、集団での位置づけがアイドルという権威的なものになればなおさらです。 一般論としても、完璧な人間なんているわけがないのです。どんな人でも批判を受けることはあり得るのです。受ける批判をことごとく反駁し、自分には間違っている点など何一つないのだという姿勢こそがそもそも病的な証となります。 アイドルとその集団を極端に戯画化した場合、阿呆者を神様に祭り上げ、はやし立てて笑っているうちに、観客までもいつの間にか阿呆になってしまう。そんなグロテスクで滑稽な劇をながめているような気にさえなります。 |
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タイトル | 投稿者 | 日時 |
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“ヴァーチャル virtual”という単語 | アモ | 2009/08/03 02:39 |
Re: “ヴァーチャル virtual”という単語 | ほのか | 2009/08/03 18:49 |
Re: “ヴァーチャル virtual”という単語 | アモ | 2009/08/04 01:55 |
Re: “ヴァーチャル virtual”という単語 | MAR(まあ) | 2009/08/04 11:47 |
» Re: “ヴァーチャル virtual”という単語 | アモ | 2009/08/04 14:33 |
Re: “ヴァーチャル virtual”という単語 | ほのか | 2009/08/05 00:12 |
Re: “ヴァーチャル virtual”という単語 | アモ | 2009/08/05 20:55 |