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1993年創設 メールフレンド専門サイト 健全で安心 |
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某所で交流のある方がこちらを利用していると聞き、登録してみた。 こういうコミュニティーサイトは、なんだか久しぶりだ。
さてと、6年前の今日、我が国を大変な災害が襲い、多数の死者と行方不明者を出した。遠く離れた、私の住むこの場所もずいぶん長く揺れて、ただごとじゃないと息をのんだ。帰宅して詳しい情報を知った後は、さらに息をのみ、現在進行形で進む原発事故や救助活動は、むしろ非現実的ですらあった。
今でもこの災害は終わっておらず、行方不明の方を探し続ける人、まだ避難を余儀なくされている人、新しい場所になじめない人など、耐えきれない痛みに耐えるを余儀なくされている人は多数いる。 長年親しんだ仕事や故郷、近しい人を失った痛みは、6年という時間を経ても癒えることはないんだね...。
この「終わっていない災害」は、個々の人だけではなく、社会の問題も生み出し、また、あぶりだした。瓦解して行く地域社会、原発をはじめとする科学技術への不信感、ある地域社会を維持して行くということの難しさ、復興にまつわる多数の迷走...。そしてそれは、解決の筋道さえ見出されていない。また、災害は来るというのに。
未曽有の災害がもたらした悲劇と混乱。この記憶を風化させてはいけない、と、メディアは叫ぶ。 そして、それは正しい。現実の危機としてこれを直視し、対策を打ち、可能な限り救済し、再発を防ぐ(あるいは、被害を最小限にする)。こうして、強靭で寛容な社会を築き、引き継いでゆくことが、世界有数の災害大国に生きる私たちの逃れられない宿命だ。
そして、その先に、この悲劇を過去の物として「風化」させていける...つまり、悲しみが吸収されて再生への希望が芽生え、事故や災害への社会不安が安心に転化できる...、そんな社会が訪れることを、切に望む。
手向けられる花は、ごくごくありふれた、だからこそ安心できる、身の周りの自然から...//
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投稿日: 2017/03/13 02:38 |
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Re: 初日記 あの日の後 テレビに甥を連れて妹を探す人がライブでいました その場で車が見つかり 妹の名を呼びながら甥に来てと呼びかける声は今も心臓を掴まれます その子は走る事も無く、泣く事も無く 歩いていました 小学生で覚悟を強いられていたのだと思います 私達は忘れてはいけない後継だと思いました
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投稿日: 2017/03/13 22:29 |
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Re: 初日記 蛍野光さん: こんばんは。初めてのコメント、ありがとうございます。
蛍さんも、そうやって忘れられない光景があるんですね。 私もです。
あの当時、本当にたくさんの悲劇があって、心が苦しくなるような映像も、たくさんの人の嘆きや悲しみも溢れていて。それでも、私の中では一つの映像と声が、目と耳に焼き付いています。 何人もの家族を一度に亡くし(当時は、まだ行方不明かな)、嘆くおばちゃんの声なんだけど。 「一人ぼっちになっちゃうよ〜」って...。 うん、本当にさ、そういうつらい体験をした人がたくさんいたんだけど、それでも、あの悲痛な声だけが特にいつも思い出されてさ。
今、身の回りに、幸いにして家族や友人などが無事でいてくれて、私は決して一人じゃないんだけど。でも、そういう人が本当に一時期に全ていなくなってしまったらって..。妻や子や、親や兄弟や、従兄弟や甥姪...。普段、あまり接点がなくても、いろんな人とつながりながら、私、生きている。そういう生きる基盤がなくなったと感じた時の、心の底からの悲痛がさ、嫌というほど伝わって。
6年という歳月が、少しでもいろんな人に癒しや安らぎを持ってきてくれていると良いんですが。
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投稿日: 2017/03/15 00:38 |
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Re: 初日記 そうですね 安らいでいってほしいのと 伝えたい気持ちを無事だった私達がしっかり受け止めなければいけないと 静岡、清水は病院の移転先が海近くに予定され 津波の危険でもめています なぜ!?と思わないではいられません 経過を見守っていきたいです
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投稿日: 2017/03/15 00:54 |
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Re: 初日記 蛍野光様: ありがとうございます。
確かに、今現在、あるいは、これから起こる問題や生き方は、私たち自身のものだから、私たち自身がどのようにふるまうか、受け止めるか、伝えていくか、生き方を決めていかないといけないんですよね。
ある出来事を教訓にできるかできないかも、私たち次第。なんでも思い通りになるとは限らないけど、せめて興味を持って見守っていくことって大事ですね。たくさんの命が残した教訓を生かした、良い結論に至ると良いですね。そう、お祈りしていますm(_ _)m
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