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投稿者 | 掲載内容 |
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掲載日時: 2007/12/04 03:50 |
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ブログのコメントだったものですが、こちらへ移動しました。
----------------------------------- こんばんは〜 目からうろこ(鱗)が落ちる、という表現など、日本語には、他にもいろいろ、比喩(ひゆ=例えて説明する表現)があります。 この比喩はしばしば用いられますが、それだけを「語学として覚えてもうまく使えない」ことが多いです。そこに日本人の特徴である「和の文化」が深く関係しているからです。 やや難しい話ですが、日本の「和の文化」(わのぶんか)の和とは大和(やまと)の和です。和は「なごやか」ともいいます。 なごやかな様子は、ひとびとが集まってなり得る(構成される状態)ですから、日本の文化の最大の特徴は民族主義にあるともいえます。個人よりも和(まわりの目)で価値観を図る、という性質が非常に高く、これを昔の文豪などは「どんぐりの背比べ」などとしてよく比喩を語っています。 比喩は「大衆からみた相手」に「間接的な共鳴」を呼ぶ基本的な伝達方法ですが、シーンが違うのに比喩を使うと、場が不和(ふわ=なごやさかに欠ける状態)になります。これを「しらける」といいます。 そもそも、和には3つの要素があります。 これは欧米では2つしかありません。 3つとは「心」「命」「魂」の3つです。 欧米では「ハート(心)」と「ソウル(命)」しかないので、魂の文化が日本の和の文化とも考えられますね。 魂とは、大国魂(おおくにたま)などの「むらと(腎)」として、いちばん深くて大切で、自分を含む周囲と、周囲からみられている自分を意識する考え方ですね。 例えば、「命をかけて働く」となれば、そのままの生死の「生」のことですが、絵描きさんなど芸術家が作品を作るとき、また念仏大仏に息吹を与えるときに、日本では「魂を込める」という表現がつかわれます。 作品を作った自分、そして作品を見てくれる大衆、そして材料を通じていろいろな支援者への感謝の念、もちろん「良い材料を与えてくれた自然への感謝」など、このようなものをすべて含んだ意思です。 その魂の価値観は、日本の豊かな自然が織り成す文化で構成されており、この大自然の営みを日本人は「八百万の神(やおよろずのかみ)」として信仰しています。 日本には800万人(神)の神様がいるのです。 思念を持ち、何か希望を念じる場合など、例えば正月参りなどは、他の宗教では「神様にお礼をしにいく(感謝を伝えにいく)」というのをよく耳にしますが、日本では感謝を伝えるのではなく「個人的な欲望や希望を叶えて欲しくて神様にお願いにいく」という、すこしずれた感覚もあります。 これは「神=自然界のもの=つまり人ではない=無尽蔵」という点もあるのでしょう。なんでも「見えないものは無料・無尽蔵だ」という価値観は、こんなところからも垣間見ることができます。ただ、昔の日本の人々は、豊富で沸きあふれる水資源でさえ、無料とはいえども、たいせつに取り扱ってきましたが、現代日本では「無料=悪いもの・試供品サンプル」「高額なもの=良いもの・ちゃんとしたもの」という、かなり錯覚した価値観が多くみられ、大自然などは無尽蔵の無料のものとして「でかいごみ捨て場」などのように考え、不法投棄なども社会問題となっています。 そして、それを罰する法律なども、摘発のパワーなどは非常に非力で、法律だけはあっても、自警団などに補助金を出して国が運営監視の支援をする、などの「人的組織」の文化的なインフラは未整備です。(うわべだけの社会) マスコミも、こうした点をするどく放映する?なんていうことはなく、現実問題はしっかりと番組には取り上げず、常にお笑い系などでおかしくばからしく笑って過ごす時間を、絶え間なく社会に提供しています。(もちろん一部ですが社説のテレビ番組もありますが、それは他国と比較しても非常に少ないですし、時間も短いですね。皆が参加してフォーラムのような討議もなく、いわゆる産官学で代表される「現場をよく知らない名称のみ知識人」が淡々と解説しているだけ、という、非常に聞いていてもつまらない内容を申し訳程度に流す、というものです。) さて、この「魂」の部分が非常に日本語では重要な「読解の手がかり」にもなりますが、ちいさな頃から自然と感覚で覚えてしまっているので、普通の日本人は、このコメントのような意識をもって日本文化を考えていることは無いと思われます。(ただ生きるままに文化を構成しているだけの存在) 魂の意思の伝達表現が、誰に対するものであるか、その前後のフレーズから判読する、という文化でもありますので、日本語にはまず「主語が無い」のも特徴ですね。 主語をいってしまうと、団体の中で「個人を示す=特定」ようになってしまい、自己と団体、団体と自己、という見えない両立が明らかになることで「孤立する恐怖」があるから、主語を控える、という心理的な見解を何かの本で読んだことがあります。 集団の中で、特定の相手を呼ぶときは、「○○さん」ではなく、近寄って「ねぇねぇ」、というわけです。例えば病院の待合室や、銀行の受付で、大声で「○○さん来て下さい」というのも、言われるのも、とても嫌います。 さすがに「ねぇねぇ」では困りますから、最近は「ねぇねぇ」のかわりに、「数字札番」になってます。でも、おもしろいことに、やっぱり魂の響きで、周囲と自分、自分と周囲を常に意識しているので、数字をいえばいいのにもかかわらず、わざわざ「次の67番さん、どうぞ」と、番号+さん、という表現になります。おもしろいですよね♪ もっと日本人でさえ、国語を勉強するべきなのですが、最近では国語は「漢字の丸暗記」だけが主流で、なにも、大和の雅な魂の流暢な語学(本来の日本語)については、学校でも教育がないですね。 ちなみに、大和ひらがな文化の日本語において、漢字の丸暗記は「中国語(漢字大国)」のお勉強ですわ。真の意味での日本語の勉強ではないわけです。 と、いろいろ書きましたが、あまり参考にしないで大丈夫です。 もし、こんな深い日本の和にも触れることがありましたら、どうぞいろいろ深めてみて楽しんでください。 ちなみに、よくマスコミがネタでピックアップする用語の「KY」ケーワイやら、かなり昔に流行らせられた「BAKA」ビーエーケイエイ(バカ)やらは、スラングに近いものですので、覚えなくていいですよ。 覚えてもすぐに忘れられる「流行死語」なので、いまどき3Kやら、MFやら、ベルトモ、エンコーやら、誰も使わない言葉ですね。まぁ、覚えていれば、その時代のその瞬間だけ楽しくもありますが、ほどほどにどうぞ。 最後に・・・おもしろ日本語ということで 「竹を割ったような性格」 こんなのもあります♪ たぶん続編の用語は、いろいろコメントがつくのかなと、にわかに希望します。 いろいろな海外の人々が日本を知り、日本に話しかけることで、本当にすばらしい日本の文化が再び輝く日がくると信じています。 つぶやきネット、Mac&Win部屋、iPhoneルームも開催中♪ |
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» 日本の比喩と文化 | ほのか | 2007/12/04 03:50 |
Re: 日本の比喩と文化 | ももともこ | 2007/12/04 06:32 |
Re: 日本の比喩と文化 | アモ | 2007/12/04 14:36 |
Re: 日本の比喩と文化 | アモ | 2007/12/04 14:45 |
Re: 日本の比喩と文化 | アモ | 2007/12/04 18:08 |