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2017年4月の日記/スレッド表示
 [未分類] 2017年04月23日 01:08
桜が終わりを迎える中、あっという間に入れ替わり、世界を新鮮な色へと染め上げてしまう、新緑。
いったい、なんて元気の出る、そして、未来を感じさせる色合いなんだろう...。

王道は、どうしたってモミジになる(写真左)。
秋には赤で人を魅了し、春には薄緑で人を魅了する。なんというか、「人を魅了するコツ」を教えていただきたいくらいに、多種多様な魅力を使い分け、二つの季節で君臨する。#彼ら、ちょっとズルいんじゃないか?(^^;; 色が変わっても**キャラは変わらない**とか、あり得ない裏技だ...//

それにしても、芽生えというのは本当に一瞬の輝きだ。花もそうだが、うかうかしている内に、すっかり形を変え、色を変え、そして、**変わらなくなってしまう**。柔軟で柔らかく、どんなふうにでも育ってくれそうな気がする。人間にでもそのまま当てはまりそうな、若葉の持つ柔らかなイメージ、これを実感できるのもこの季節の特権。写真中央は、柿の木の若葉。大きくなった時のあの硬くて頑固な葉は、想像すらできない...//

そして、そんな新緑の季節、まだ若葉マークで未成熟な季節に、年季の入った人生の熟練者が、桜の下で初々しく。見習うべきことが多い人生の先達にあやかり、長い道のりを巡り巡っても、若芽のような瑞々しい感性と、大切なものは何かということ、これらを完全には見失いませんよう...//
     
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 [未分類] 2017年04月23日 00:46
4月も下旬に突入したこの季節、桜を楽しむといっても、どうしても目移りがしてしまう。
桜自体の勢いはどうしても衰えているし、そもそもエース(ソメイヨシノ)不在だし、周りにより強力なライバルが成長してきているからだ。ライバルには事欠かないが、特にこの季節、**新緑**こそが最大の競合相手だ。なんといっても、自分自身の枝からだって生えてくるんだから、奴等は...。

そんなわけで、桜族は必死である。「桜の勝利」のためであれば、誰だって味方に引き入れてしまう。もう、本当は桜じゃない相手だって、「桜っぽければ」味方に引き入れてしまうのである。
そんなわけで、この季節に見逃せない「芝桜」、ちゃっかりこの欄でご紹介(写真左)。
芝桜の色はとてもカラフルで、中にはとても桜には見えない**とんでもない色**の品種もあるわけだが、ここではできるだけ大人しめの芝桜を...。

そして、もちろん、本来の桜も負けていない。凋落著しいとはいえ、枝垂れ桜はまだ終わっていない。こんな勢いあるお姿も、探せば見られたのである(写真中)。
ただし、風が吹くたび、ひらりひらりと、花びらが舞う。終わりに向かって、少しずつ坂を下る桜の季節。花びらを浴びながら、ゆっくりと季節の受け渡しを実感する。全盛期に近い姿を見ながらも、やんわりと儚い終焉を感じてしまう。
ついつい人の生と重ね合わせながら、時間の流れを実感する。やはりこれが、日本で昔から桜が愛される理由なんだろうな、と、実感。昔からある山桜でも、散り際の美は同じなんだろうな。
願わくは、今年の桜も、大嵐なんかではなく、そよ風に舞いながらゆっくりと終わりを迎えてほしい。ゆっくりと、新緑へとバトンタッチを(写真右)...//

     
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 [未分類] 2017年04月23日 00:11
枝垂れ桜の満開を迎えてより、はや一週間。
その間、過酷な大嵐にも見舞われ、枝垂れ桜よりもさらに一週間早く満開を迎えたソメイヨシノの花は、既に見る影もない。
そんな折に、まだ、桜について語る気なのである。

そう、耐えたのである。
若干の山間にあるその枝垂れ桜の名所では、平地に比べてやや季節の到来が遅い。そのホンのわずかの差が、大嵐による花の全滅を防いだのである。
もちろん、最盛期の先週に比べれば凋落の感は否めないが、今まさに最盛期を迎えた牡丹桜(八重桜)の威光も借り、十分に見るに堪える花姿である(写真左)。人が少ない分、先週などよりもよほどのんびり花見を楽しめるくらいである。
そんなわけで、3週目となる桜の記、開幕である。

さてと。凋落といっても、それはソメイヨシノと枝垂れ桜の主要品種に過ぎない。実は、まさしく今の今、最盛期を迎える桜だってあるのだ、この、名古屋の地で。上に挙げた牡丹桜がその一つである。

...とは言いつつ、私にとって、牡丹桜は若干の**反則**であった。
確かに、桜である。詳しくは知らないが、植物分類学的には紛れもなく桜なのであろう。
だが、花と葉が同時に出てくる咲き姿、手毬のように部分部分に密集して咲く咲き姿。なんとなくボッテリしていて、ソメイヨシノや枝垂れ桜に見られるような繊細さ、儚さがあまりない。周りの風景ににじむように繊細に風景を染め上げるのではなく、「花と葉の塊」がまだらに咲く、ちょっと主張が強い花なのである、下記写真(左写真の奥に写る濃いピンクの花、および、写真中)のように...。

...うん? 下記写真...? ま、まぁ、何というか、コレはこれで良いじゃないか...。確かに、輪郭のはっきりした大きめの花ではあるが、決して悪くない。空気ごとピンクに染め上げるような、ソメイヨシノや枝垂れ桜の細やかなボリュームにはかなわないが、一つ一つの花の存在感や自己主張、決して悪くない。
と、41年間生きてきて、こんなことを今更再認識する体たらくでございます...。#そんなわけで、花好きの風上にも置けない未熟な自我をさらけ出しつつ、読者様がほとんどいないことをいいことに、勝手なことをブツブツ...(^^;;

さてと。
現在最盛期(ちょっと過ぎ)の桜、そのもう一つは、枝垂れ桜の一つ「雨情枝垂れ」(写真右)。
...文句なしである。一つ一つの花は通常の枝垂れ桜よりも若干大きめだが、花が途切れなく枝を覆い、風に揺られて豪華で優美な流線を作り出す。私が最も好きな桜の一つ(そう、「最も好きな花」は一つではないのである)、その雨情枝垂れをこの桜の季節の終わりに堪能できる幸運と幸福を、じっくりと噛みしめるわけでございます...//
     
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 [未分類] 2017年04月16日 23:39
さてと。
すっかり桜まみれになった一日だった故、それ以外は見逃してしまいそうな風景。だが、ふと気づけば、それらの脇役も、十分に美しく、自己主張は強い。

同世代に圧倒的に輝くタレントが居ると、どんな分野でも、2番手以降はかすんでしまう。それでも、彼らに実力がないわけでも、輝いていないわけでもないのだ。見るものが、圧倒的に強い太陽に目がくらみ、月や星に目が行っていないだけなのである。

そんな風に、桜の周りで忘れられそうになりながらも、強い輝きを放つ、今回限りは脇役となってしまった名優たちを..。

清楚な薄い水色が何とも目を惹く、可憐なネモフィラ(写真左)
桜の脇で、しっかりと自己主張する、菜の花(写真中)
それを取り囲む、チューリップ(写真右)

それぞれに、素敵な花姿をありがとう...//
     
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 [未分類] 2017年04月16日 23:26
気温や天候が不安定で、開花予想が難しかった今年の桜。
だからといって、咲いた花の美しさが劣るわけではない。
むしろ、来たタイミングが良かったためか、例年以上に生き生きと輝いて見えた、今年の枝垂れ桜。
これをもって、私はいつも、**春のクライマックス**とし、これ以降は、春と認めていない(*注1)。

風花に巻かれて堪能する花びらも儚く、桜は終わりがけまで全て美しい。それでも、今を盛りと咲き誇るこのボリューム感に、いつも圧倒される。
桜の楽しみ方の中に、「包まれる」、「抱(いだ)かれる」という感覚がある。花の洪水の中に身を置くとそのような錯覚に見舞われるわけだが、枝垂れ桜をもって、その感覚は最大となる。まさしく、桜に包まれながら、外を見るのである(写真左)。
空に映え、地を撫でる、優しい流線(写真中)。
周囲に溶け込んでしまいそうな、優しいピンク(写真右)。

急激に気温が上がった中、じっくり見すぎて疲れた故、見たかった場所の半分ほどしか見ていない心残りはあるものの、心は十分満たされた。こうして、今年の桜の記、クライマックスを堪能したのである。この巡り合わせに、感謝を...m(_ _)m


*注1 もちろん、嘘。今後の日記でも、おそらくいけしゃあしゃあと「野菜を植え付ける春」とかなんとか、いい加減なことばかり書き込むことだろう。 お気づきの際は、生暖かく見守ってほしい...//
     
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 [未分類] 2017年04月16日 23:09
つい先週、我が世の春と隆盛を極めたソメイヨシノ。
だが、たった一週間後の今週末、花びら舞う姿も切なく散りゆき、薄い新緑へとその座を明け渡しつつある。
このような場合、人間には次の二つの選択肢がある。
1) 散りゆくソメイヨシノに殉じ、風花に巻かれながら最後の逢瀬を楽しむ。
2) ソメイヨシノから一週間ほど遅れて全盛期を迎える、まさしく今が盛りの枝垂れ桜に浮気する。

誠実な私はもちろん後者を選択し、本日、枝垂れ桜の大競演となる実家近辺の公園を訪れた。
知る人ぞ知る、枝垂れ桜の名所である....とかいいつつ、昨今、色んな人に知れわたり、駐車するのも一苦労だし、写真を撮れば誰かが映り込む状況ではあるが...。
それにしても、そんじょそこらの桜名所には負けない、と思える盛大な咲きっぷりを、ゆっくりのんびり堪能できることは、この季節、何物にも替え難い。

...そんなわけで、いつも、前置きばかり長くなる私の作文ではあるが、本日は、写真こそがメインなので、文章はほどほどに。
本当に美しいものを堪能するときに、言葉はさして必要ではない。
燕ですら、唄を忘れて見入る枝垂れ桜の競演、次の日記と共に、記録として残しておく。
     
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 [未分類] 2017年04月09日 22:34
桜を訪ねて三千里....まぁ、実は、三千メートルくらいかもしれないが、とにかくウロウロと彷徨っていた本日。
メインの桜以外にも、目に留まった花や鳥を、激写である。

という訳で、青紫が目に付く、ムスカリ(写真左)。色も形も特徴的で、風に揺られてちょっと目を引く、春の花。

木陰の奥に隠れて、なかなか撮影できない、アオバト(写真中)。ハトでありながら結構珍しい鳥で、これを狙って、多数のカメラマンが、大砲みたいなカメラを三脚に固定して、ポッポを待つのである...。私のようなポッと出のなんちゃってカメラマンではなかなか良い写真など撮れないけれど、たまたま本日目撃したので、激写。まぁ、肝心のクチバシ近傍は枝に隠れて見えないけれど、このハトのカラフル具合は一応わかる程度に...(^^;;

そして、川べりの「イツメン(*注)」、百舌鳥(モズ:写真右))。本日のモズは、なぜか後頭部に派手な**寝グセ**が..?(^^;;
どこで寝てたのやら...//

今は、桜に隠れて色々なものを見過ごしているかもしれないけれど。
それでも、未だ残る沈丁花の香りに心溶かされ、芝桜とソメイヨシノのコラボにうっとりとし、名前も知らない鮮やかな花に心奪われ、川の中の変わらぬ面々(鯉とか亀)に癒され...。

自然の恵みは、いつでも健在、と、実感。 そう、「ついでだのなんだの」だなんて、見る方の都合に過ぎない。たとえ一時期脇役に追いやられていようとも、それぞれの存在は、それぞれのやり方で、ただそこに一生懸命あり続ける。たとえそこに目がいかない時があったとしても、居るべき者が居るべき場所に在り続けること、この貴重な価値を、忘れないようにしていきたい...//


*注: イツメン=いつものメンバー、らしい...//
     
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 [未分類] 2017年04月09日 22:02
恵みの雨上がりである。
そう、昨日から断続的に降り続いていた雨であるが、夜半に激しく降った後、午前中に止んでくれたのである。

もちろん、出番である。
昨日は私の実家近傍で最も盛んに咲く場所を徘徊したので、本日は、我が貧乏長屋近傍で最も盛大に咲く2か所へと、お出かけである。

どちらの場所も、キロメートル単位で断続的に続く長い桜並木である。最初に訪れたのは、住宅街を斜めに突っ切る散歩道、両側からの桜のアーチの下を散策できる、いきなり**最強クラス**の隠れた名所である。左写真のような並木道が、ずっと続くのである。数年前に桜の下での宴会が禁止されて以来、「ただ桜を楽しむという最高の贅沢」が許された聖地である。風が強い日ではあったが、そのおかげで、花はまだ元気なのに花吹雪を浴びることができるという特典付である。この花吹雪をもって、長い**春の始まりの終了**を心の中で宣告し、花霞の中を泳ぎまわるのである....。(ちなみに、筆者が泳げるのは花霞の中だけであり、水の中ではなぜか沈むという特異体質と長く付き合っている。) この並木道だけでも、端から端まで歩くのはかなりしんどい長さである。途中で大きな道路に何度もさえぎられるため、程々のところで、2か所目へ。

次の場所は、小さな川沿いの桜である。主に河原の片側の並木であるが、**水際の桜**という、王道中の王道である。 もちろん、そのアーチをくぐって散策できる(写真中)。
既に夕方近くになっていたが、ここにきて、空を覆っていた雲が払拭され、待ちに待ち、望みに望んだ陽の光と青空である。柔らかな夕方の日差しと、水面からの照り返しに仄かに光り輝く桜。幻想的だといえばそれまでだが、こんな幻なら常に見ていたいと、改めてこの天の恵みに感謝。 

そう、何という僥倖だろう。この週末の日曜日に満開、そして、ギリギリの雨上がり。強い雨にも花びらが痛めつけられたり散らされたりしていない、ギリギリのタイミングだったのである。次の雨は、この姿のままやり過ごすことはできないことだろう。今年の桜は本当に心配していたが、フタを開けてみれば、この素晴らしく清楚な女王の全盛期に謁見を許され、その高貴なお姿の前にひれ伏すことが叶ったのである。
天の配剤、天の恵み。自然に優しくされると、本当に心が躍る...//
     
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 [未分類] 2017年04月08日 21:41
恵みの雨である。
地を潤し、命を生み、育て、糧を与える、大いなる水の循環。
個人の思惑などはるかに超えたこの大いなる自然現象を前提に、私たちの生活や習慣、思考、文化までが形作られた。
だが。たまに...、ごくたまに、この恵みの雨が疎ましくなることがある。もちろん、その一つが、いまこの季節、そう、桜の季節である。

「一番好きな花」が複数あるという、どこかの**チャラ男**みたいな無節操な私だが、今この季節は、完全なる桜の虜である。もちろん、**君が一番好き**である...// という訳で、雨がちの残念な天候ではあるが、ほぼ満開を迎えたこの桜を見逃すことは、織姫を放って七夕にネトゲにハマる彦星のようにダメダメで無粋である。

以上のような心の葛藤を経て、雨の合間を縫って、私の実家近傍で最も美しく桜が咲く川べりまで。今この時だけは、雨上がりこそが天の恵みである。
日本全国、津々浦々に至るまで、似たような光景が繰り広げられているであろうが、やはり、桜は美しい。一輪の可憐さも、満開の木の立ち姿も、どこまでも続く桜並木も...。単独美から集合美、ミクロからマクロまでが、全て美しい。そして、優しい。何よりも、蕾から散り際までを通して一貫する、栄枯盛衰の儚さと可憐さ。 
代々日本人のDNAのどこかに受け継がれてきたであろう何者かが、心の底から、この桜への想いを燃え立たせるのである。

そんなわけで、2017年の桜、曇り空に溶け込みそうなお姿を記録、そして、記憶しておく。願わくば、この記録が単なる第一弾であり、今年、まだまだ続きますように...//
     
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 [未分類] 2017年04月02日 23:16
さてと。
新年度の景気づけ旅行、と、勝手に意義付けした海辺の旅、2日目の記録も残しておく。

若干寝不足気味での旅行だったためか、チビの寝かしつけもかねて9時半に就寝したものの、起きたのは7時半。 早朝の散歩だのひと風呂だのという目論見はすべて外れ、あまりによく寝た自分をいぶかりながら、朝食。昨夜の晩餐に比べれば簡素といっても良い内容だが、日本の朝食らしい朝食。イカの刺身、絶品。

チェックアウトまでの時間、海辺を散策したり、部屋から飛び回るトンビを観察したり(写真左)。良く晴れた心地よい朝。

チビの要望で、南知多ビーチランドへ。アシカショーやイルカショーも楽しめる水族館や、小規模だが遊園地などもある、なかなかユニークな施設である。ここでは、「動物とのふれあい」を大切にしており、アシカやイルカに実際に触ったりエサをやったりもできる。ペンギンやアザラシ、ウミガメなどへの餌付けもできる。何といっても、ピラニアにも餌付けできるし、サメにだって触れてしまう(写真 中)。「サメ肌」とはどういう意味か、確認したい人は南知多ビーチランドまで是非どうぞ♪(回し者モード)
(ちなみに、遊園地と書いたけれど、小さいバイキングはあるがジェットコースターなどはない。訪れる人は、あくまで、小学生以下向きの初級(?)遊園地だということをご認識いただければ)

その後、さらに海辺のレストランにて海鮮をあさり、しばらく魚なんて見たくもない、という状態に...はさすがにならなかったが、十分に堪能した。
伊勢海老、大アサリ、渡り蟹、エビフライ、ついでに、クルマエビの踊り..。愛知の海も、やっぱり、海の幸は豊富で、だからこそ、海辺には独特の力がある。その一部をもらって、明日からの新年度、まず最初に訪れる試練、何とか乗り切れますように...。

それにしても、美しかった、夕日...。
     
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 [未分類] 2017年04月02日 22:53
さてと。
人生は、資産と負債、そして、債権と債務という、対になる事柄と如何に上手に付き合っていくかで、その充実度が決まるといっても過言ではない(*注1)。
普段はケチでしみったれな私だが、過日、「節約とは、生活に潤いを与えてくれる事(もの)を手に入れるためにするもので、その潤い自体を節約のためにカットするなど本末転倒」などと煽るネット記事にすっかり感化され、ひと月前に貰った麦チョコの義理を返すことを言い分に、帰宅後、「今年度のお疲れさま会でもしようか」などと ついつい口走ってしまい、自ら**債務**を抱え込むという失策を犯した。それが、3月14日、深夜の出来事である。

さて、その後の展開は私の想像を絶する目まぐるしさであり、一旦 権益を握った債権者(奥様)がいかに冷酷かつ迅速に債務者(私)を追い込んでいくのか、実体験と共に知ることとなった。
...そんなわけで、「ちょっと美味しい食事でも」みたいな私の目論見を斜め上に飛び越え、年度初めの週末に海辺の宿に一泊し、**手当たり次第に食い尽くす**という、スケールアップされた支出計画が立案、決定、段取りされ、命令として私に下賜された。

このような一連の出来事は、安易に債務を背負うことの危険性を如実に示している。そう、債務は**膨れ上がる**性質を持つ。この一般法則を、未経験の方は決して忘れることなく、自らの生活を律してほしい...。

...とかなんとか、前置きばかり長くなったけれど。この週末、上記のようないきさつにより(*注2)、愛知県内の海辺の町(南知多)へ、一泊旅行。愛知県は、トヨタのようなモノづくりのイメージがあるかもしれないが、海あり、山あり、温泉ありで、それなりに食や旅行も楽しむことができる。もちろん、それらの「本場」ほどではないにしても、気軽な旅行なら十分である。

初日は昼間こそあいにくな雨に降られたが、食べ歩き目的の旅の障害にはならず、ドライブがてら、海辺らしい食を求めてウロウロ。船盛りを擬した海鮮ちらしで、昼食(写真左:一人分)。海辺の町らしく、種類豊富な刺身にほくほく。もちろん、味は、私の頬が落ちる瀬戸際まで追い込まれる始末。

そして、宿。
実は、南知多への旅行では必ず使うお気に入りがある。部屋はすべて地階ながら、大きな窓から見える海の景色が美しい。今回は、雨上がりの夕焼けが美しく、部屋の中で落ち着きながら、リゾート気分を堪能(写真 中)。
その宿の食事も大変素晴らしく、あまりに夢中になっていたため、メインディッシュをはじめ、大部分は写真に撮ることすら忘れる始末。唯一(?)撮影した、**おまけ**で付いていた、サザエのつぼ焼き(写真右)。 味付けが、絶品...。

という訳で、旅行一日目の夜は更けていったのである。
そう、人生において、**債務を負う**というのも悪くないのである...//

 
*注1: もちろん、嘘。大事な事ではあるが、そんなことだけで人生の充実度など決まるハズがないですね、ハイ...(^^;;
**注2: 若干、誇張あり//
     
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