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2017年3月の日記/スレッド表示
 [未分類] 2017年03月25日 17:11
一年前に、定年した旧上司に代わり東京から赴任した新しいボス。
私よりも2つ上なだけで、大して歳は違わないが、役職の重みは段違い、仕事量は桁違い、実力差は天と地、視野の広さは大空の鷹と井戸のカエルの如し...。
そう、いわゆる、**出来る上司**がやってきたわけである。人間性もよく、天才には珍しく「調整型」ともいえるリーダーだ。 あの若さであの地位まで駆け上がり、それでいて謙虚さは忘れず、周りの人間までも巻き込みながら強い力で上昇を続ける。私は密かに、”昇り龍”と呼んで恐れ敬っている。

さて、そういう、努力は惜しまないが、基本**天才**な龍から見ると、私のごとき凡人の遅々たる歩みと狭い視野は歯がゆいため、時として鋭く追い込み、深く切り込み、大きくえぐる。
思いやりと優しさを持つ昇り龍だが、それ故に、**私たちのためを思って言う**指摘は痛烈を極め、まさしく「凄く硬い飴でできたムチ」で打たれる思いがするのである。

何よりも、正しさと思いやりこそが、人を追い詰め、深いダメージを負わせてしまうことがる。怒りや悲しみ、悔しさが、他の誰でもない、自分自身に向かうためである。こうして、ただでさえ寒い上に、氷のごとき冷気が心に流れ込む、停滞の春...。

3/25現在、ソメイヨシノはまだ蕾(写真右)。同じく、私もまだ、咲けず...。

それでも、季節は着実に進んでいる。春のもう一つの代名詞、土筆は、硬い地面を割り、今この時も、着実に伸びている。上へ、上へ、まっすぐ上へ...(写真中)。
同じく、私も、上へ上へと伸びていけるのだろうか...。
昇り龍の、愛にまみれた厳しい鞭を浴びて、折れそうになりながらも、開花に至るだろうか...。

寒かろうが暑かろうが、この厳しい大自然を自分の足でしっかり立って、自力で生き抜く百舌鳥(モズ)の精悍な顔立ち(写真右)。この百舌鳥にあやかって、しっかり羽ばたいて行けますよう...//
     
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 [未分類] 2017年03月20日 23:14
やってしまった...。
MYアルバムという機能に惹かれ、いい気になって今年撮った梅の写真を貼りつけまくっていたら、なんだか、トップページにその写真が入れ代わり立ち代わり現れる非常事態が出来した。
それまでに表示されていた、とても味のあるイラストその他を圧し、縦横比の狂った私のできそこない写真がこのサイトのトップページを飾る...いや、汚しているのである。トップページを見るたびに、晒した写真に「夢枕に立たれている」ような気がして、うなされる毎日が続くのだろうか...//

さてと。いい歳したおっさんの身で恐縮ながら、私、お花が好きやねん(照)。
季節が巡る度に、また会えた喜びと新たに出会えた喜びに、ネタに事欠かない日常の厳しさ辛さを少し中和してもらえる気がするのである。

今の季節、枝垂れ梅が最盛期から終わりかけ...といったところか。仕事のせいでこの連休は花どころではなく、梅の最後の輝きを目撃すること叶わず。まぁ、代わりに、喰い倒れの町で、本当に喰って倒れていた訳だから致し方がないが...。

さて、いい歳したおっさんの身で恐縮ながら、私、梅が好きやねん(照)。
春の花として、梅と桜は人気を2分する。...というのはもちろん言い過ぎで、どう考えても桜に軍配が上がるが。
ふんわりと優しい桜の花に対し、若干冷たく清冽な梅の花。いつも人の方を向いて咲いてくれる親し気な桜に対し、枝から真横に向けて我関せず咲く素っ気ない梅。だが、もちろん、そんな孤高で清冽で気高い梅を愛する人も、数多く存在するのである。もちろん、私は桜の方が好きだが(壊)、まぁ、梅も大好きである。...そう、最初から、わざわざ梅派と桜派に2分する必要などなく、**どちらも好き**というだけの事を長々と書いてきたわけである。つくづく悪文だと反省しつつ、先を急ぐ。

で。梅の魅力の一つに、枝がまっすぐ上を向く、という点があるかもしれない(写真1)。ただ空を目指して下から上へと枝が伸び、そこから真横に花が咲く。古い年度が終わり、新たな気持ちで春を迎えるときに、上を目指す力強さと、周りを気にせず孤高に咲くという、なんとなく示唆に富んだ佇まいに力をもらえる気がするのである。

3月11日。これらの写真を撮ったその日、まっすぐな梅の枝が、ある形を作って咲く姿をいくつも目撃した(写真2,3)。

さて、今現在は逆に、上から下に枝がなびく、枝垂れ梅の時期だろうか。今年は再会叶わなかったが、来年こそは、ぜひまた...//
     
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 [未分類] 2017年03月20日 21:43
「日記というものは毎日継続してこそ意味がある」と、力説していた小学校の平沢先生には大変申し訳ないながら、結局、こうなってしまうのである。いくらSNSに登録し、「徒然なるままに日々雑感を書き綴ろう」...などと思い立った所で、日々そのものが味気なく、いつもと変わらず、起伏に乏しく、それでいて微妙に忙しい。これをあえて忍んで毎日書いたりすれば、上司に叱られ、大王様(奥様)に怒られ、暴君(チビ)に踏まれた悲劇の記録ばかりが並ぶことになり、聞くも涙、語るも涙の慟哭の記になってしまうことだろう。...そんな訳で、名ばかり日記に言い訳を立てた所で、本題。

貧乏暇なし、という訳ではないが(いつもは貧乏でヒマなので)、ごくごくたまに、出張などというイレギュラーなお仕事により、起伏のない日常が微妙に波立つことがある。今回のご用命先は、大阪...そう、喰い倒れの町である。
お好み焼き、タコ焼き、串揚げ...などと指折り数えるまでもなく、辺りを見渡せば、そこここに良い香りを振りまく店が立ち並び、人が行列を成し、酔っ払いが練り歩いているわけである。ちょうど3連休前に降り立ち、3連休を丸々と(仕事で)過ごす日程である。仕事と**その後**のどちらに力が入るかなど、推して知るべしである。

という訳で、初日は駅中の美味しそうなハンバーグ屋についつい立ち入り、2日目は鶴橋の焼肉屋、3日目は風月のお好み焼き...と、順調に食べ歩きを進めていたところ...。4日目、時間がなかったが故に、昼食にかき込んだ牛丼がどうも悪かったというか...大当たりして、夕方から次の日の朝まで、宿で腹を抱えてウンウン転げまわる事態に相成ったのである。もちろん、その日は夕食どころではなく..//
おそらく、二日酔い気味のところに無理やり流し込んだため、私の**デリケート**極まりない胃腸が過剰反応しただけで、食事に瑕疵はなかったと思うのだが、食いしん坊に罰が当たった、世紀の瞬間である。

朝方、何とかドラッグストアまで這うように歩き、こんな時だけ頼もしい正露丸を入手し、最後の仕事も事なきを得た。が、天罰の効き目は長く、未だ、お腹の辺りには痛みの余韻...。まったくもって、食い意地が張るとろくなことが無いという好例である。

という訳で、自省と教訓を込め、本当に倒れてしまった**喰い倒れ**の記をここに残しておく。....とは言っても、ホント、美味しかったんだよ〜〜、鶴橋の焼肉屋(写真)とかさ...(^^;;
 
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 [未分類] 2017年03月14日 01:29
ふむ...。日付が変わってから日記を書き始めようなどという横着な性格は、物心ついたころから何一つ変わらない...というか、怖いから未確認だが、おそらく物心つく前から変わっていまい。そして、このような、できれば自然淘汰されてほしいダメダメな性質こそが次世代へと引き継がれてゆくことを 現在進行形にて確認中だという、この胃の痛み...。 #あぁ、この父にして...(^^;;

さてと。
この歳まで生きてくると、日々の生活が驚きや感動、喜びや悲しみに彩られて新鮮に輝くことなど、めったに経験しない。(いや、半人前が生意気言ってホントすみません..//)
もちろん、起業家の野心も冒険家の勇気もクリエイターの創造性も持ち合わせない凡人ゆえの閉塞ではあるが、毎日の生活はとてつもなく単調だ。

かくなる凡人には、リスクと隣り合わせに得られる大きな達成感や喜びは縁遠いかもしれない。
だが。ほんの一握り、片手に掴める程度の幸せと充実なら、ほら、この通り...(写真)
冬は寂しい猫の額畑でも、なけなしの力をふり絞り、命をつなぐかけがえのない収穫をこの手に与えてくれる。新鮮そのものの味覚は、ささやかながら、確かな幸せを実感させる。

そんなわけで、ビール片手に さっと湯ぶいた水菜をいただき、耳からは類稀なる旋律。
片手に掴めるだけのささやかな物達から得られる幸せも、決して悪くない。
   
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 [未分類] 2017年03月12日 22:39
日記と銘打ちながら、日記でもなんでもない文章となった昨日。
この汚名を挽回すべく、今日こそは日記の名に恥じない文章を制作すべく、ブツブツ...。

という訳で。
私の住む貧乏長屋から車で約30分の場所に、実家がある。
さして裕福な育ちではないながら、実家には、大猫の額ほどの広さの庭の中に、子猫の額ほどの広さの畑がある。独身の頃から私がこよなく愛してきたこの庭と畑が、この私の体と心の半分ほどを形造ることとなった。

実家を離れることになった後でも、両親を訪問するという口実の下、畑に会いに行き、しばしの時間を土をいじって過ごし、この何かとストレスのたまる人生に癒しを求めていたのである...。

とかなんとか、ずいぶん偉そうな文章を書いているけれど、要するに、小さな家庭菜園の中心で愛を叫ぶのである、...おっさんが。 #生暖かく見守るか、**見て見ぬフリ**をしていただけると、大変うれしい。


さてと、ずいぶん前置きが長くなったけれど。
冬の間休眠させていた畑に少しずつ鍬を入れ、整え始めることにした。冬は僅かな水菜のみの寂しい菜園ゆえ(写真1)、輝かしい夏野菜の季節が懐かしい。

昨年試しに育てたトウモロコシが思った以上に美味だったため、今年は少し増やしたい..と、ありもしない空きスペースを求めて大猫の額をウロウロ。 結局、草除けの砂利が敷いてある部分を侵食し、畑を拡張する暴挙に出ることに。老いた父の苦々しい顔に気付かぬフリをしながら、なんとか許可を取り付ける。

砂利をかき分け、掘り起こし、培養土を混ぜる準備をするも、掘れども掘れども出土する砂利。なかなか手ごわいが...楽しい。まだまだ時間があるから、ゆっくりと整えてゆくことにしよう...。


さてと。花粉の飛び交う憂鬱な側面を持つこの季節。それでも、早咲きの桜や梅が咲き進み、マンサクや沈丁花も芳香を放つ、生命が躍動感を取り戻す季節。

実家の鉢に植えたまま、もう10年以上も放置している「この木」も、あらん限りの力を振り絞って、その生命力を見せてくれる(写真2-3)。そう、ソメイヨシノよりも少し早く花咲く、サクランボ(暖地桜桃)の花芽である。
普通の桜に負けないくらいに美しい花姿に加え、実まで食べられるお得な木だが、鳥除けしなければその実にありつくことはできない。鳥除けを潔しとしない私は、実はまだ数回しか実を食べたことが無い。

そう、いつだって、正直者がバカを見るのである...とかなんとか、怠け者のお馬鹿でも正直者のフリが出来る、日本語表現の寛容さに感謝するものである...//
     
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 [未分類] 2017年03月11日 23:50
某所で交流のある方がこちらを利用していると聞き、登録してみた。
こういうコミュニティーサイトは、なんだか久しぶりだ。

さてと、6年前の今日、我が国を大変な災害が襲い、多数の死者と行方不明者を出した。遠く離れた、私の住むこの場所もずいぶん長く揺れて、ただごとじゃないと息をのんだ。帰宅して詳しい情報を知った後は、さらに息をのみ、現在進行形で進む原発事故や救助活動は、むしろ非現実的ですらあった。

今でもこの災害は終わっておらず、行方不明の方を探し続ける人、まだ避難を余儀なくされている人、新しい場所になじめない人など、耐えきれない痛みに耐えるを余儀なくされている人は多数いる。
長年親しんだ仕事や故郷、近しい人を失った痛みは、6年という時間を経ても癒えることはないんだね...。

この「終わっていない災害」は、個々の人だけではなく、社会の問題も生み出し、また、あぶりだした。瓦解して行く地域社会、原発をはじめとする科学技術への不信感、ある地域社会を維持して行くということの難しさ、復興にまつわる多数の迷走...。そしてそれは、解決の筋道さえ見出されていない。また、災害は来るというのに。

未曽有の災害がもたらした悲劇と混乱。この記憶を風化させてはいけない、と、メディアは叫ぶ。 そして、それは正しい。現実の危機としてこれを直視し、対策を打ち、可能な限り救済し、再発を防ぐ(あるいは、被害を最小限にする)。こうして、強靭で寛容な社会を築き、引き継いでゆくことが、世界有数の災害大国に生きる私たちの逃れられない宿命だ。

そして、その先に、この悲劇を過去の物として「風化」させていける...つまり、悲しみが吸収されて再生への希望が芽生え、事故や災害への社会不安が安心に転化できる...、そんな社会が訪れることを、切に望む。

手向けられる花は、ごくごくありふれた、だからこそ安心できる、身の周りの自然から...//
     
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